“ゼロからつくった街”観光客が100万人 移住者も…岩手・陸前高田とそば店主の12年【Jの追跡】(2023年3月11日)
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- Опубликовано: 9 мар 2023
- 奇跡の一本松が出迎えるのは、大人気の「道の駅」。その横には、震災の記憶を伝える「東日本大震災津波伝承館」があります。
この場所だから体験できることを求めて、多くの外国人観光客もやってきます。
岩手・陸前高田は、津波で市街地が消滅。1800人近くが犠牲になりました。
この場所をかさ上げし、ゼロから街をつくることに…。この12年間の人々の苦労と思い、そして街の完成に合わせて、観光客や移住者を呼び込む戦略を追跡ました。
■津波で…“店”と“店主”失った「そば店」
津波で店と店主だった父を失った及川雄一さん。陸前高田を代表するそば店だった「やぶ屋」。父親の跡を継ぎ、店を再建することを決意。一から修業を続けていました。
母・従子さん:「しょっぱいか…こんなもんか…」
及川雄一さん:「正直に言っていいよ」
従子さん:「私のあれ(舌)が、悪いのかもしれないから」
どうしても、亡き父の味には近付けません。
従業員:「(Q.だしの感じは?)前は、もうちょっと強いような気がした。だしの味が」
市街地が消滅し、1800人近くが犠牲になった陸前高田市。津波で流された場所をかさ上げし、商店街、公共施設、住宅などを配置する新たな街づくりの計画が立てられました。
切り出される、大量の土砂。東北の被災地、最大のプロジェクトが号砲を上げました。
長い修行を経て、及川さんは営業を再開。街ができるまでの間、仮設の店舗でしのぐことに…。
客:「うん、うめー」「変わらないね、味は」
陸前高田のそばが帰ってきました。
従子さん:「開店を見せてあげないと。これだけできるようになったと思えば、お父さんも喜んでいると思います」
妻と小さな2人の子ども。避難所から仮設住宅と、家族4人、身を寄せ合い暮らしてきました。
しかし、大きな問題が立ちはだかります。
■“難題次々”救いの手…ゼロからの街づくり
新たな街に出店する資金補助を受けるつもりが、被災したそば店が借家だったという理由で、「対象外」とされてしまったのです。
解決策を見出せない日々に心労が重なり、店も休みがちになります。
自宅も被災した及川さん。新たにローンを組めば、高台に建設する自宅と二重の支払いがのしかかります。
及川雄一さん:「今パパが決めたことで、お前たちが20年後苦労するかもしれないんだよ」
娘・小春さん:「うん。しそうだね」
及川雄一さん:「他の仕事じゃ、ダメなの?『やぶ屋』じゃなきゃダメなの?」
小春さん:「じいちゃんも、ひいじいちゃんもやってた」
及川雄一さん:「続いてきたからなあ」
かさ上げと並行して、街づくりに向けた工事は加速。BRT(バス高速輸送システム)や、路線バスが乗り入れる交通広場も完成。市街地を貫く幹線道路や橋も開通しました。
補助金を受けられず、再建を断念しかけていた及川さん。そこに、仲間たちが救いの手を差し伸べました。
及川さんの負担を減らそうと、5つの事業者が手を組み、一体となって店を構える「商店街型」として、補助金を申請することにしたのです。
製菓店店主 菅野秀一郎さん:「何とかする方法を考えなきゃと、及川さん一人に任せるのではなくて。自分だけが成功すればいいっていう街づくりじゃない」
その結果、「中心的な商業機能を果たす」という要件が認められ、施設や設備にかかる費用の4分の3の補助が受けられることに。
及川雄一さん:「新しい街の本当に中心で商売させてもらえるのは光栄だと思って。心強い仲間と一緒に、これから頑張っていきたい」
もう一度、この地に自分たちの街を…。長い季節を越え、数々の困難を乗り越え今、店が、人々の活気が、戻ってきました。
■追跡…観光客・移住者呼ぶ様々な“仕掛け”
新たな街づくりと並行して力を入れたのが、観光客を呼び込む仕掛けです。
「奇跡の一本松」と同じエリアに、「道の駅」をオープン。豊かな水産物や農産物、そして三陸地方の特産品を味わい、触れることができると大評判になっています。
地元産のカキやイクラなどをふんだんに使った「たかた丼」や、あの一本松の形をした天丼まで。グルメも大充実です。
「道の駅」に併設するのは、震災の記憶を伝える「東日本大震災 津波伝承館」。
この場所だから体験できる、数々のこと。最近は、評判を聞き付けた海外からの観光客も増えています。
ドイツ人観光客:「あのようなことがあっても、人々が戻って生活していることに感動しました」
去年の観光客は震災後初めて、100万人を突破しました。
移住者を呼び込む動きも加速。農・漁業体験ができる2泊3日の移住体験プログラムを実施するなど、新たな街の魅力を発信しています。
取材の10日前、京都から移住してきた石田さん一家。
夫・祐太さん(37):「『あ、ここだ』と思ったのが、一番の移住のきっかけ」
妻・裕夏さん(35):「こんなに近くに山も海もあってという環境で、子育てできるなんてなかなかない」
来月から移住者をサポートする仕事に就くという裕夏さん。この日も、東京からやってきた相談者がいました。
NPO法人高田暮舎 移住コンシェルジュ 多勢瞳さん:「合計で現時点までで79人が移住してきた。街として人が1人来てくれると、新しい取り組みが生まれたり、盛り上がったりするので、人をもっと増やしていけたら」
■いつか必ず力に…10年間修業して“Uターン”
街を一望できる丘で、新たな挑戦に励む29歳の男性がいました。
Uターンした及川恭平さん(29):「今ここで、ブドウを植えていて。このブドウを使って、ワインを作ろうと」
及川恭平さんは、高校卒業まで陸前高田市で暮らしていました。
及川恭平さん:「17歳の時に震災があって。当時まだ高校生で、何も力になることができなかった。10年間は街のハード部分の整備を整えていく、その10年先はどうしていくのだろうと考えた時に、ソフト面の復興を担うものとして、10年後に(故郷に)帰ってこようと決めて、10年間修業してUターンしてきた」
いつか必ず、力になりたい。その思いを胸に大学ではバイオサイエンスを学び、ワインの商社に就職しました。
その後、本場フランス、イタリア、スイス、アメリカのカリフォルニアなど、世界のワイナリーで修業を積みました。
そして、ふるさとへ…。
及川恭平さん:「自分のワイナリーを通して、もっと街に色々な人が来てもらえるような形にできればなと。色んな人への恩返し、人のかかわりがあっての自分の今の存在。これから先の街づくりを担うものとして、頑張っていければなと」
ゼロからつくった街、第2章へ。バトンはつながれました。
■「帰ってきてもいいかな」という街になってほしい
周囲の協力で、何とか新たな街に戻って来ることができた及川雄一さんのそば店も、連日の行列が。新旧、多くのファンに囲まれています。
及川雄一さん:「私が子どもの頃は、すごくにぎわっていた。ああいう高田になればいいなと。もっと広い範囲で、色んな店ができて。人もいっぱい集まって。子どもたちも『帰ってきてもいいかな』という街になってほしい」
[テレ朝news] news.tv-asahi.co.jp
単なる復旧ではなく、ビジョンを掲げて、以前よりも、さらに良い街づくりを進めていく姿に感動しました。
ビジョン=先見、構想、空想
@@Koishi_line 調べるのめんどくさかったから助かる
戸羽市長は津波で奥様を失くし、小学生のお子さんたちを育てながら復興を引っ張って来られました。この映像にある町が1つの集大成なのかなと思います。本当にお疲れさまでした。市長が変わったという事で、新たな発展を願っています。
偉い市長さんだったんだね。お疲れ様でした。
現地に行きました。宮古や釜石と比べるとまだまだ復興まで程遠いと感じました。
それだけ陸前高田は津波の爪痕が大きかったのだろうと簡単に想像できました。
でも、一歩ずつで良いから街が発展してくれる事を願う。
災害が起き辛い国の人にどう刺さるのかな
外国人観光客が来てくれるのは本当に嬉しいですね
災い転じて福と成りつつある事が嬉しいです😢本当に日本人は強い頑張れー
佐々木朗希選手が陸前高田のご出身ということで、そういえば震災後に陸前高田でボランティアしたなと思い出し、この動画にたどり着きました。
到着した時は、まるで戦場のような光景で涙が止まらなかったです。今はこんなにきれいになったんですね。いずれ、私ももう一度訪れたいです。
外国人観光客が多かったので「東日本大震災津波伝承館」って英語でなんて言うのか調べてみたら「Iwate Tsunami Memorial Museum」とありました。直訳でなく、シンプルでしかも的を得ている素敵なネーミングですね。
まじで頑張ってほしい。
何もできないけど応援してます。
皆さんがこれからも明るく前向きに頑張って欲しいです。
地元の方達が凄く逞しく感じました。
何がなんでも。山を切り崩しここに住もうとする意志を感じる。
凄いな
これを成した労働者たちも凄いし
これを『やろう』と決意した行政の判断も凄いな
頑張って下さい。 俺もアメリカから観光でいつか行きたいと思っています。
日本は自然の恵みが豊かな国だが、同時に自然の災害が尽きない国。力を合わせて、知恵を出し合って、これからも逞しく逞しく自然と共存共栄していきましょう。日本中が応援しています。
伝承館はもっともっと立派にして世界中から観光客がくればいい。
世界中に津波を教えて千年後の日本でも忘れていないように。
前を向きながら行動している方々を見て、また魅力も多そうでとても行ってみたくなりました。自然は笑顔とともに時には悲しみももたらしてきましたが、うまく共存していく道を探し続けたいですね。
みんな一回津波伝承館行って欲しい。ほんとにこんなになるのかってくらい驚くよ
いつか必ず岩手に観光行って、美味しい物たくさん食べて良い物たくさん買って帰るぞ!
岩手がんばれー!
小泉進次郎が30年後自分が何歳なのか考えている時に、10年後どういう形で戻ってこようか考えている人たちがちゃんといたんだなぁ
進次郎は能無しボンボン
彼らの幸せを願わずにはいられない。
しなくてもいいはずの苦労や不幸を背負ったのだし。
何やろ?歳のせいか泣けてきた。改めて日本、日本人の素晴らしさを感じたしこの国に生まれてよかったと思える。
街全体をかさあげってすんごいプロジェクト
東北三陸海岸日本人🇯🇵こころに触れる交流いいね😊
憶測だけど、七夕まつりのシーンでのねじり鉢巻きの恰幅のいいおっちゃん
子供の頃からの思い出とか、亡くなった友人との記憶とか色々こみ上げたんだろうな。
なんか色々背負って、前に進もうっていう気持ちが「よっしゃ」に込められてる気がした。
災害が多い日本は、1からやり直す力と団結力が潜在的力が日本人に備わってるんじゃないかな。そして、いま平凡とした野心があまり感じられない現代は、こういった天災などに備えていざというときに、ものすごい力を発揮しそうな国民だと思う。第二次世界大戦敗戦後も、ここまで経済大国になれたのも、日本人の前を向く力、潜在能力が十分に発揮された結果だと思う。日本は、多くの税金をとられても海外に移住を考えない国民を多いと思います。また、阪神淡路大震災や東日本大震災など経験したら、災害の多い日本を捨てるのも1つの方法だと思うけど、日本人は、災害が多くても海外移住など1ミリも考えない。もちろん言語の壁はあるけど、日本の食、文化、海、山、国民性など素晴らしいものが多く、あまり表面的には見えないけど、愛国心はどの国よりも深くあると思う。それゆえ、復興の力は、周りが驚くほどのものになって、今後の陸前高田の復興していく姿は、多くの日本人を励まし、観光へ行ったりすることでより活性化して、被災前よりも笑顔の絶えない街になってほしいです。
震災後の復興ボランティアに参加しました。
前を向いている被災者の方ばかりで感銘した記憶があります。
今後の更なる発展を願っております。
こーゆう良い番組を
もっと今の若い世代に観て頂きたい。
素晴らしい番組でした。
ありがとう御座います。
失ったものはかえってこない。たくさんの涙を流した・・・その涙の意味を、その答えを見つけるために、どうか生き続けて欲しい。
陸前高田の方々は話し言葉も分かりやすいね。他所から来る人には良さそう。
是非一度訪れてみたい場所です。
前向きは良いけど、以前と同じ物を作ったとしたら、いつか同じ位の地震や津波が来たら、大惨事になってしまう。2度と悲惨な悲劇が起きない対策をしてくれる事を切に願っています。
ドイツ人家族が大変な目にあったのがドイツでテレビで流されたから、助かってよかったなドイツ人家族🇩🇪
この十二年前本当に悲しい悲劇が心よりご冥福を❗祈ります❗
こんにちは、あれからもう12年なんですね、こちら東京は、今朝震度3の地震があり、カラスが、まだ、朝早いのに教えに来てくれました、あの時の事は、忘れ様と思っても忘れる事は、出来ません、本当ならばしっかり防災しなきゃいけないんですけどね、私達の心は、陸前高田と共にあります
自然災害は悲しいものですが自然に生かされているのも事実!
どうか皆様が素敵な人生を送られます様に!繋げていこう笑顔を😀
ぜひ行ってみたい
概要欄が濃い。お疲れ様です。
他の国には何兆何千億、他国の留学生にはポンポンお金を出すのに、被災した自国民の援助は渋るってどういうことですか。
嵩上げ足りてるのかな。心配。
でも街の人の故郷に帰ってきた感がすごい伝わってくる
企業からしたら、入りやすいのかもしれないね
客が来る、利益が出るのならやろうって感じ
何もないけれど、何もないからこそお店や何かを建てるのは簡単
取り壊したり、取り除いたりする手間がない
んで、いい感じの循環になってる
お店ができる、人がくる、仕事ができる、人が集まる
さらにお店ができる、さらに人がくる、さらに仕事ができる、さらに人が集まる
そして町になる
本当に素晴らしい
努力の賜物ですね!
動画中の奇跡って言葉は余り好きじゃないなぁ…奇跡ってのは偶然性の産物にしか思えないし、この復興に関わった多数の方々の想像も出来ない辛さと努力を曖昧にしてしまう言葉に感じる
その文言を使って伝えたい意味合いはもちろん理解できるんだけどね…
上空から町を見たときのシムシティ感が熱い
いつか行かなければと想いつつもう12年経ってしまいましたが、いつか復興した姿を映像ではなくこの目で見に行きたです
佐々木朗希も代表デビューして一生懸命投げていたし。ほんとにいがったいがった😃
この地域は歴史的に見ると定期的に洪水被害がある地域だったはず。
なんでここに住み続けるの?って思う人もいるだろうけど、外国人からしたらなんでこんなに地震の多い日本に住み続けるの?って感じだろうし……。
流されたり壊れたりするたびに移住するのではなく、その地を「アップデート」するのが古来からの日本人の生き方なのかもしれない。
外国人は土地に愛着がないので災害などが起きたらすぐ逃げるらしいですね。
この地域の人達だけの金でこの大規模な工事をするならなんの文句もないですがね。日本中の税金が投入されてるんだから費用対効果は見られるのでは
宇宙人からしたら、なんでこんなに地震のおおい地球に住み続けるの?って感じだろうしw
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じゃあ貴方が貰っているであろう税金はなにもかも費用対効果に則っているんですかね。地方交付税交付金も、社会保険制度も、結局根底にあるのは相互扶助の精神なんですよ。さも自分たちは誰の助けも借りていないと平然とされている方がいらっしゃったのなら、それはもう同じ日本人だとは思いません。
こうして歴史は繰り返す…
防災しっかりね
また津波が来る、そうわかっていても住んでしまうんだよね。
ほんと愚かだ。
@@user-ey5bb4ou9p 愚かとコメントしてますが、君は同じ行動繰り返さない自信あるから愚かとコメント出来る方なんですね。
仕事でもミス無く何でも完璧に熟る方なんですね。
とても尊敬致します。
どうかその動画を上げてみませんか?
きっと被災された方の為になられると思いますよ!
是非君がミス無く働かれてる動画を上げませんか?
いつ頃上げますか?
自信があられる方なので私も、その動画を早く観てみたいですがいつ頃上げられますか?
君のコメントにイイネ押されてる方も君の様な人間がミス無く何でも完璧に熟る方の動画を期待して待たられておられますので是非上げて下さいね。
期待しております。
@@Ookiyo.tinko. 人は同じ過ちを犯すもので、別に自分が特別な人間だなんて思ってない。ただこの被災地の人はそのことに気づいてないから言ってあげないといけない。
まだまだ先が長い復旧計画なんですね。これでは生まれたときに災害にあった子供は親の世代が交代するまで復旧作業を見ながら終わるのかと、思うこの頃です。これからは地震災害があっても街の人達がお互いに顔を合わせられる街であって欲しいですね。毎年どこかで発生する災害が日本の年中行事になっています。実は日本国民が災害復興のためにわずかばかりのお金を払っていますが、これでは長期復興計画になってしまっています。収入の微々たる金額ですが、これをもう少し徴収すれば復興までの期間も短くなって被災者も復興も見られず亡くなられる方も少なくなるのじゃないかといつも思っているんです。この時期に書いたのは、でに高年齢に達した年金生活者ですが、確定申告で書かれる復興資金のために利用される特別税が少ない感じだからです。攻めても千円程度は徴収されてもよいのではないかと思っています。千円にこだわるつもりはありません。でも私でさえジュース2本分です。払っているのが恥ずかしい気持ちで数字を見ているのです。
みんなの考えも聞きたいですね。
12 years since the killer tsunami. Time flies.
前に行った時は車で走っただけで気づかなかったけど、めっちゃかさ上げしてたんだな。
まだ土地あるなと思ったけど、かさ上げしたばっかりだったのか。
女川もとても素敵な場所でした
私はフィリピン生まれけど、でも僕は日本大好きです!
ありがとう😢
僕もフィリピン大好きです。
タホもジョリビーズも好きです
まち作り 道路4つ縦に 高台に作ること 入地って作ると 避難所などいくまでに 混乱するため 今後は避難訓練 仕事してるとき家族と意志疎通 逃げる場所は やり取りだいじ そちらのかっ断層 知っておいた方がいいです かならず 過去に悲しい 忘れたダメ 仕事していてもすぐに避難訓練いけるように 高いところ
蕎麦が美味しそう
いつかは食べに行きたい。
あの頃、今自分にできる事は無いけど、10年経ったら観光に行って復興に協力するわと思っていたが、・・・未だ行ってないわ
もうあれから12年経ったというという恐怖
一度流された土地の建物を、がれき撤去して再建築するのは途方もない労働力が必要です。
きっと日本の時間が過ぎている間に、最も死ぬ気で寝る間を惜しんで使命感をもって働いたのは被災地で働いた人でしょう。
こういうのを見ると、日本の政治家の殆どは情けないほど働いてないなと思ってしまう。
皮肉な事に、悲惨な目にあった場所には人情や暖かい人間の心が集まる。
都内で通勤ラッシュで毎日疲れたな~と言っている我々は鈍感になっていて何が大事で何が真実なのか、よく分からなくなってしまいますね
役立たずで情けない政治家が多いのは認めますが、一度流された土地の瓦礫を撤去し再構築してるのは紛れもなく政治の力だと思いますよ
ぶどうワイン待ってますからね及川さん
蕎麦屋の及川さんの方もお店に食べに行きたいなぁ
かさ上げしインフラ完成した所が多いが、
活気を取り戻した地域は少ないのでは。
(岩手/福島の人口減。海岸地域。)
岩手)陸前高田市は、工夫し頑張っている方だろう。
川崎フロンターレが、被災募金、サッカー教室等で
交流している地域と聞いている。
山を切り開いた方が楽なような気もするけど、やっぱり地元がいいという事なんだろうか?
3月に行ったときに凄い行列ができてて、諦めました。次回はぜひ。
陸前高田、行くぜ!
補助金はしっかり1円も無駄なく支援に使われたのだったら良いことだよね。
復興の気持ちはわかります。ただ同じ規模の津波がまた来たときに、この街は耐えられるのでしょうか。
大丈夫やで 30mの堤防がある
同じこと繰り返すよ人間だもの。まぁいいんじゃない。
もっと高い津波が来てしまう可能性だって無くは無い
合理性より郷土愛を優先した結果だがリスキー
地元愛で住むのは理解できるけどわざわざ移住者向かい入れるのは違うよな
@@ぐるぐるてん
移住者側がリスクをわかった上で住みたいって言ってるならいいでしょ。それを受け入れてるだけなんだから。
多くの外国人は自分の国が地震や津波に晒される可能性は低いだろうけど、
土地勘のない旅行先で出くわすリスクはあるわけで。
私もいつか陸前高田市に行きます
どれだけあの日ここの街が
悲しい思いをしてここまで
復活してきたのか、、
亡くなった人や物はもう
戻らないけど
生き残った人達の
未来は続くのですよね
人間は弱いけど
やはり強いのだと
思います
今能登半島の皆さんも
辛いと思うけど
負けないでほしい
4:40 の太鼓を叩いてる人は
震災から10年の動画でも見た事が有りますね。
凄く希望が見える。頑張ろう。私も陸前高田に遊びに行きます。
名古屋のおかげですねほんと
美談みたいになってるけど
この地形というか場所にまた街を作るのは
いい事なのか?
災害が起きないリスク少ない場所に
住んでもらうほうがいいと思うけどね
この時の義援金ってホント何処に消えたんだろうな……被災した人達の為の金なのに関係無い連中が使い途を決めてさ。どれだけ善意の募金が悪党共に食い潰されたのか
家流された人たち一律で冷蔵庫もらったりしたよ。ありがとう。
やぶ屋さんの蕎麦は美味しいよねー
被災者の一人の意見を聞いて奇跡の一本松を純粋な目で見れなくなった。
牡蠣は三陸のものと決めております。
日本人って逆境に強いよな
海鮮丼はその地方で捕れる魚介類がのっているが一番美味しい。 (*´ω`*)
何らかの心に傷がまだ残っている方は下の方までコメントを見ない方がいいです。
低評価の集まっているコメントが下のほうに行きます。
3/4も補助金出るって凄いな。借金でなく。
借店舗だったのに3/4も建設費出させて自分の店を持つとか完全に焼け太り
国外支援や優遇したり…政治家の顔書いた饅頭やポールペン作る…お金あるなら…国内のこういう所に真っ先に1円でも多く使うべきでは?
偉大な蕎麦屋の母ちゃん (´・ω・`)
電線地中化をなぜやらないのかな
かさあげって津波から家を守るために、土地をかさあげしているってこと?
せやで。地面全体を盛り盛りして高くした。
こーゆー税金の使われ方は良いと思う!
17:36 イカ2貫!?
冷静に考えると、またこの町って津波に流されちゃうってことですよね?なんでこんな危険な場所に再建したんだろう?
防波堤をあの時よりも相当高くしてるし街自体も結構土で高さ出してるって言ってたよ実際見たら防波堤結構な高さだったよ
明治、昭和、平成それぞれ津波が起こっています
住めるような土地ではない
国は復興税と言う詐欺を働いて、平気な顔をしているが、国民は努力するしか無いんだよ。
シティスカみたいだ。
【涙】が止まりません。
【言葉】になりません。
素晴らしい【行動力】に
感銘しています。
カッコつけすぎ、そのままでいいのに
人口も少なく震災しか取り柄のない町は補助金消えた時破綻しそう。
Requiemの気持ちは感謝と尊重を覚えますが、多数が一度に来られても困るのが、現地に住み続けて居る皆様の、共通点では無いでしょうかね?!
私も、🇯🇵の、何処かで「黙祷」と【合掌】を(時刻は、ズレましたが)させて頂きました。
住めないけど、寄付なら沢山する!
沖縄県と違って移住してきた人間を追い剥ぎして追い出さなくてえらい
いわゆる「スクラップ&ビルド」とは皮肉なもんだな…
まあ、日本のお家芸だが。
ここに移住って、将来的に大丈夫なんか
これより下に家を建てるな、それを無視して311,そしてまた無視してまた同じことが起きる。 人間はなんなのだろうか。
墓石か何かに書いてありましたよね。人はすぐに忘れちゃう生き物だけどたった10年くらいで映像も残ってる状況でのこれだから呆れるよねw誰が率先して街を作る事業始めたのか謎だよ。また津波が来た時にどう言い訳するのだろうね。
それなぁ。
何度が行って思ったんだが、ここらへんの地域は全くといって良いほど海産物を売りにしていない。
こんな恵まれた地域にいながら、それが売りになることを地元の人たちが全くわかってない。魚屋すらほとんどない。
地元の人が魚を食べないので勧められることもない。。。
唯一特産にしているのが昆布。。。
てっきり他の地域同様、刺身とか売りにしてるのかと思えば
接待で地元の人が連れて行ってくれるのは中華屋とか焼肉屋でびっくりした。
漁協?がなぜか地元にあまり流通させていないようです。
除染すべて終わったんだ....
つええな〜まだ12年、もう12年どっち何だろ。東北改造 システム作りじゃない物理的な町作り 日本が貧乏になるはずだわ。それでもやって欲しいと思うのは自分も日本人だったからかな。なん世代かかるんだろ。
ここ福島じゃないですよ
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東北全体 吹き溜まりとか屋根に貯まるの掃除してたぞ〜 立ち入り禁止エリアだけじゃないんだぞ~😢😢
なぜ危ない場所にまた街を作ってしまうのか、、、しかもそれを美談みたいにどうかしてる
☆☆ すべての人々に真白き大霊(神様)の祝福とお恵みの多からんことを!
あれ?て思ったのは、蕎麦屋の及川さんとワイナリーを作ろうとしてる及川さんは、親戚なのかな?偶然なのかな?もしも親戚ならお互いに切磋琢磨してきたのかな?と思いました。
及川という姓のかたは岩手に多いです。苗字マップで分布を調べてみると、及川さんが一番多いのが岩手、2番目に宮城でした。